こんにちは、まかろにです。
今回は千住大川町の氷川神社にて6月30日、7月1日に行われたお祭りに行った感想をお届けします。
お祭りの趣旨
この神社には小さな富士山「富士塚」というものがあります。
そして富士山が夏季登山シーズンになると山開きと連動しお祭りを催します。
この小さな富士山「富士塚」は千住には他に千住宮本町の千住神社、柳原の柳原稲荷神社のふたつがあります。
富士塚ってなあに?
江戸時代の江戸では、富士講という組織がありました。
簡単に言うとこの講が富士塚を作ったのです。
足立区は関東平野にあり、昔は今の荒川もなく平たい土地であることは間違いないと思います。
千住新橋や土手から見える富士山が、昔はどのように見えたでしょうか。
春夏秋冬見え方や姿を変える富士山は昔から有名であり、山岳信仰の最たるものです。各地に富士を冠した地名が残るのもその理由となりえます。
しかしみんなが富士山に登れるわけではないのが当時の状況です。
そこで、富士山に登りたい人を集めて作ったのが「富士講」です。
自然にできた小さな山を富士塚と呼ぶこともありましたが、富士山に模したものが出来たのは1779年の新宿が初となります。
何で富士塚が必要だったの?
江戸時代にはまだ旅行というものはほとんど行われていませんでした。
今よりずっと不便(道が悪い)で、電車もない当時、今と同じ旅行は当然できません。
また富士山は女人禁制の山としても知られており、明治5年(1872年)の政令によりほぼ解禁されましたが、当時はそのことを知る由もなかったでしょう。
また山頂部分に富士山頂の砂を埋めることで間接的に「富士登頂」できるようにしたのです。
健脚でなくても、子どもでも、女性でも江戸にいながら富士詣でのようなことができる、それが富士塚だったのです。
話を戻しこの大川町氷川神社の富士塚は富士山の溶岩を使っており、ダイナミックに富士山を表現しています。
また高さ3mというものの当時の3mならば目を引くと思われます。
しかし登ったりできる富士塚はめずらしく、千住では大川町氷川神社以外の二つは今は基本的に登ることができません。
ちなみに今回は登れませんでした。
このまま登れなくなってしまうのか心配です。
感想
脱線してしまったので祭りの感想を。
露店は多くないですが、まったりお祭りを楽しみたい方は行ってみては、と思いました。
お祭りではかなりめずらしいと思われる、奉納カラオケ大会があります。
境内でカラオケをする機会なんて早々ないですし、唄を奉納するという発想は面白いと思います。
境内に10ほどの露店が出ており、あまり人は多くないですが子どもの行きかう姿は「ああ、お祭りだな」と思える感じです。
おそらく来年も6月30日に行われると思いますから、興味のある方は足を運んでみてください!!
場所等
住所:〒120-0031 東京都足立区千住大川町12−3
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